NEWS担人生(出会い、沼編)2012年秩父宮雨公演についても

 

NEWSは15周年を迎え、私はファン歴6年目をを迎えた、2018年。

 

 

ジャニーズに初めて踏み込んだのは小4か5の時。「山田太郎ものがたり」が大好きで、主題歌を歌うグループの中の1人が主役で、1人が友達役であったことから、嵐を知った。

 

(多分ね)

 

私の周りには所謂オタクや、ましてやジャニオタなんて人間は存在なかったので、私がひとりで開拓していった。

元々収集癖があるので、お金が使えるようになってからコレクションするのに時間はかからず、中学生に上がってすぐ。

まあ、2009年の嵐10周年でめちゃめちゃ流行ってたのでテレビにもよく出てたし、みんなが好きだったから否定はされず、CDやDVDを買った。

はじめは通常盤、物足りず次の予約から初回盤。と。

 

嵐はフィーバーがすごくて、当時地方に住んでいた私でも予約取るのが大変で、Twitterで不確かな情報でも出回った時点で、お店に電話して予約をしていた。(マメだしこだわり強い性格だった)(そんでもって負けず嫌い)

 

中2あたりで部活の先輩のお母さんが嵐オタであることを知り、色々教えてもらった。そこから私のオタクスキルもどんどん上がった。

 

中3。

嵐担には関係はなかった、しかし大きな事件が起きた。

『NEWS山下、錦戸、グループを脱退』

 

私は朝のWSで知って、当時NEWSファンだった友達に学校で聞いた。

詳しくは誰も分からなかったけど、その時の私は不覚にも思ってしまった。

そして、その友達にも言った。

 

「山Pと亮ちゃんいなくなったら、いちごのないショートケーキじゃん!!」

 

(数年後、小山が夜会で、この言葉を言われたことが悔しかったと泣きながら言っていて私は辛くなったし、反省をしました。)

 

 

時は過ぎ。

高校生。

 

NEWSファンをしていた友達とも同じ高校に上がり、地元も同じで2人とも帰宅部だったのでよく2人で帰っていた。

 

その子にNEWSのライブが当たったんだけど、親と行きたくないんだよね〜〜と相談されて

「NEWSなら行ってもいいよ?てか行ってみたい!!」

(なんて上から目線なんだよwwフザケンナ私。w)

『いいの?〇〇(私のこと)となら行きたい!ジャニオタと行きたかったからよかった!』

と快く友人は同行させてくれた。

 

私たちの実家から会場まで自転車で行けたこともあり親の承諾も簡単に取れ、参戦することに。

 

2012年9月2日

 

私のNEWS担人生が始まった日。

 

パパ娘、華和家などのドラマで

「シゲかっこいい〜!」と思っていた私は

シゲのうちわとツアバ、ペンライトを購入してコンサートに行った。

 

なんと

 

そこで、手越祐也におちた。

 

会場がめちゃめちゃ狭かったので、

ムービングステージで私の真上を増田さんが通過したり、もう少しで触れそうなところに小山の上裸が存在したり、裸眼でシゲの「くっちづっけを〜」を見たのに。特に記憶に残っていない手越におちた。

 

参戦前は友達にセットリストを送ってもらい、少し聴いてから行く。

全然知らない曲も多かったので楽しめるか不安だった。

 

そんな心配も吹き飛ばすほど我を忘れNEWSに魅了されあっという間の2時間を過ごした。

 

 

今思うとあれが、1番無我夢中に楽しめたライブだったかもしれないなぁ。(少し悲しい)

 

 

 

あのライブで初めて聞いた「フルスイング」

ライブ時点では、6人時代の曲だと思っていた。

その曲に胸を打たれた。いい曲だないい歌だな好きだな。とスッと感じた。

 

もしかしたら、これがNEWS好きになった大きなきっかけだったかもしれない。

 

 

そこから沼にはまっていくのは簡単だった。

 

すぐにファンクラブ会員になり、

WORLDQUEST、NEWSなどのCDを買った。そして奇跡的なことに、

高校のクラスにweeeekあたりからの山P担がいて、たくさん布教してくれた。

ライブDVDから、シングル、アルバムまで全て貸してくれた。

 

走魂や昔の少クラ(NEWSをあばけ!)の存在まで教えてくれてズブズブと。。。

学校でYouTubeを一緒に見てさらに深くまでずぶずぶと。。

 

私は4人になってからのシングルとアルバムを全て買い続けているが、山P担の友達は買えずにいた。


古いものは山P担、最新のものは私が買って、貸し借りをする日々が続いた。

 

2013年。

この年のツアーは私の地元に来ないことがわかった。

 

姉が東京で一人暮らしをしていたこともあり、両親が遠征を許してくれた。

 

初めて自分で取ったチケットで、初めての遠征。

高2のJKがワクワクしないわけない。

 

(ちなみに私をNEWSのコンサートにはじめて連れて行ってくれた友人は、この時期は韓流オタになっていた笑笑)

 

山P担の友達と一緒に秩父宮2公演を2連で応募して、2人とも当たった。


学校に、届いたチケットを持って行って一緒にチケットを開けたこと。

参戦数の少ない2人が席にピンと来ず必死に検索したこと。

イヤホンを共有して昼休みに沢山の動画を見たこと。

関東ローカルの番組に何度も涙を流したこと。(MUSICFAIR 花のズボラ飯 etc…)

 

今思い出しても沢山の思い出がある。

 

まあそんなこんなで、遠征日。

2人とも部活では部長をしていたが、関係なし。部員に謝りLet's go TOKYO !!!

 

朝イチの地元発の高速バスに乗り、

東京に着く。

 

すぐに国立競技場へ向かう。

12時にグッズ販売の会場に着いた時には長蛇の列。

とにかく並んでみる。

 

地方の高校生2人に都心会場のグッズ列の恐ろしさは分からなかった。

炎天下、日傘や帽子はなく、水分もない、5時間のバス移動の疲れ、普段の倍以上の荷物、そんなものを抱えながら5時間並んだ。

(列を抜けてコンビニにお茶を買いに行くことはルール違反だと思ってた)

 

途中ワンカップ500円の高〜〜〜〜いレモンジュースみたいなのが売られてて秒で買った。今思えば、当時の私みたいなおバカなオタクに売るために販売してたのかもね笑

さすがのJKでもこの暑さには勝てなかったね。倒れなくてよかった。

 


時刻は17時。

並んでる他のファンにも焦りが見える。

 

物販会場は秩父宮ラグビー場から少し離れていた上に、開演は18時。(だったはず)

 

警備のおじさんが

「今ここに並んでいる皆さんは、絶対にライブに間に合いません!グッズは明日も売っています!!コンサートに行きたいならすぐに会場に向かってください!!」

と言った。

5時間並んだプライドも500円のレモンジュースも全て忘れ、ライブに間に合わないのはあかーん!と2人で走った。

 

15分前に座席到着。

センターステージ周辺、外周最前という神席。

なのにグッズはない。

買うからいいや〜と前回のものも持ってきてなく、手元には「祐」と書いたうちわだけ。

 

 

恋祭りの寂しさ異常!!!

めっちゃ手振ったわ!!!

ブンブン振ったわ!!

 

 

シゲのパンツを生で見たり、

ドームで10周年イベをやることを聞いたり、

まっすーがremedyのフリで突然倒れびっくりして心配したり、

Greedierが目の前で興奮しすぎてよく覚えてなかったり、

チェリッシュの1番良いところで手越くんから指差しもらったり(祐団扇が効いたね)

2人で帰りにトイレに行きたくなったのに会場のトイレ封鎖で死ぬ気で探したり、

 

やっぱりこれもいい思い出。

 

姉の家に帰った後、ご飯を食べてお風呂に入って、疲れが出たのか熟睡。

 

 

2日目。

 

この日は朝イチからグッズを買いに行った。

すんなり買えてよかったね〜〜と言いながら、

ツアバを持ってなんちゃって制服を着て原宿に行った。(黒歴史

とにかくLIFE OF NEWSのロケ地巡りをしたくて、こやてごデートのクレープを食べて大満足。

 

東京楽しーーー!!

最高ーーー!!!!

 

な時間を2人で満喫(●´ω`●)

 

気づけばいい時間。前日の反省を生かし、早めに秩父宮ラグビー場に向かう。

 

席はメンステ寄り東スタンドの上方。しげますトロッコ方面。

「今日は席は悪いけど、タオルもペンラもあるし全部が見渡せるからこれはこれで良いね!」

なーんて話しながら開演を待つ。

 

どんよりと

嫌な雲影が見える。


昼間に電話をした母から言われた嫌な言葉を思い出す。

「雨予報だから、雨防ぐグッズ持っていきなさい。」

 

まあ、雨なんか降らないけどね。念の為念の為とカバンの上に雨ガッパを置き、ポスターの上の穴の空いているところにコンビニのビニールをかけた。


スマホはアンドロイドユーザーで防水スマホだったので心配なし、紙チケットが心配で財布にしまい、他のタオルでくるみ、カバンの奥に入れた。

 


多分なんとなくみんな

嫌な気はしていた。

 

 

開演。

曇り空。

しかし晴れ。

 

みんなが一安心し、

ライブはすすむ。

 

ライブも半分が終わり、後半に差し掛かるところ。

雨が降り始める。

「慶ちゃんのソロのbeautiful rainかよ〜」

なんて冗談を言えていた。

 

少し経つ。

雨は強くなる。

前がだんだんと見えなくなる。

チェリッシュとシゲソロの間の暗転の時間がやけに長い。

 

 

そこで突然

こやますが登場。

「みんな大丈夫〜?」

「一旦ストップしよう」

「傘さしてね!座ってね!暖かくしてね!」

「もう少し待ってみよ〜!」

まっすーがアイアイ傘のサビを歌ったり

二人の優しさが溢れるが、それどころではない会場。

(歌にはきゃーってなった)

 

周囲がレインコートや傘、タオルで雨をしのごうとするが限界もある。

制服参戦していた私のスカートローファー靴下は雨に濡れ色が変わっていた。


所謂、

ひどい状況。

 

 

ソロ待ち2人は衣装バレするからと、

最初は出てこなかったが、途中で登場。

 

 

そこで改めて悲惨さを思い知らされる。

NEWSが笑っていない。

手越くんが笑わなくなった。

おかしい。

晴れ男を豪語する増田さんに助けてを求めて

「まっすー!」と、何度も叫んだが雨に消される。

 

小山がステージ下のスタッフさんのお話ししてるのが見えた。


まさか。。。

 


その後、

辛そうな顔をする小山が話を始める。

小山 「俺たちも嫌だし、みんなも嫌だと思う。けど雷が近づいていてこれ以上は危険だと判断されました。今日は中止になりました。。」


シンと静まり、雨の音だけが響く会場。

 

誰もが聞きたくない一言。 

そしてメンバーも言いたくなかったであろう一言。


やはり手越くんの顔から笑顔は消える。

 

 

「そのかわり、明日に順延が決まりました!」

歓声と悲鳴が響く会場。

 

私たちも素直には喜べなかった。翌日に帰りのバスは取っていたし、姉の予定もある。

友達と一緒の行動は決まっているからお互いの親が許さないといけない。

まだ幼い私の頭に様々なことがよぎった。

 

真夏のあっつい日に冷たい雨が降り注いだ。

当然体調不良者は出る。


メンバーはステージの上からならよく見えるからと、外周をぐるぐる回り

「近くに体調悪い人いたら手振って」

「暖かくしてね。ごめんな。」

「大丈夫だから。」

「明日来られない子もいるよね。ごめんね。」

と繰り返す。

手越が何度も何度も謝る。

「ごめんな。ごめんね。」

 

 ファンもそれに応じ、メンバーやスタッフに体調不良の子がいる場所をペンライトを振り、必死に声を出して伝える。

 

私も貧血を起こし、座っていた。

『明日行けないかもしれない。今日のこれで終わりかもしれない。』

そう考えて体調は一気に悪くなる。

(病は気からとはよく言ったもの)

 

 

あの状況は、悲惨だった。

 

メンバーはマイクを袋で覆い、何度もファンに声をかけ、必要時にはスタッフを呼ぶ。

その姿に笑顔はない。

 

「スタッフさん!こっち!こっちにいる!」

手越くんが怒りながらマイクに声を通す。

 

笑顔はもちろんない。

 

肝心なメンバーはタオルをかぶるだけ。

ひどすぎる雨で楽屋に戻ってもおかしくない環境に、傘もささず、雨ガッパも着ずにファンの前に立った。

 

そんなNEWSを見て、 

自分のことは自分で。

できない人はみんなで助けて。

そんな空気をみんなが感じていた。

JKでもわかった。

NEWSの反応が欲しいなんて邪な気持ちの人は多分いなかった。

 

そしてすぐに規制退場のアナウンスが流れる。


私たちは規制退場が1番始めの席だったので、最後までの様子はよくわからなかったが、私の周りの人は誰もNEWSがいるからと残る人はいなかった。

しかし、我先にと行く人もいない。

ゆっくり押さないように前へしっかり進む。

 

名残惜しかったが、今はそういう時ではないことがみんなわかっていた。

 そして自分の欲のままに残っていたらNEWSに迷惑がかかる。

そんなのは絶対にダメ。

 

 

帰り道。知らない道を雨の中

ただひたすらに歩き、駅を探した。

カッパを脱ぎ傘を持ち、制服を濡らして歩く。 

 

 

隣に入っていたシゲアキ担の同い年の女の子2人組。開演前時間があり話しかけてくれて何分か話し、私の友人含め4人で盛り上がった。

 

帰る直前に「明日も会いましょうね!」と誓うように声をかけると、

 

『九州から来ていて、帰りの飛行機を取ってしまったから明日は行けないんだ、シゲのトロッコ残念だったなぁ。』

と言われた。

きっとそんな人は沢山いたのだろう。


 

目標とは違ったが、なんとか駅に到着し濡れた体で電車に乗り姉の家に着いた。

お風呂を沸かしてもらい、洗濯もしてもらい、すぐに寝た。

疲れすぎていた。

 

 

2日目夜~3日目

 

所謂、パーナさん事件。

(パーナさん呼び断固反対)

 

私服警察官が補導する代わりにパーナさんをナンパ。

家を貸してもらった人のお金を盗み、逃走するパーナさん。

宿なし金なしのパーナさんを狙うワゴン車。

凍えているパーナさんにコンビニなどのお店は暖かい食べ物飲み物を無料で配布して。

と騒ぐTwitter民。

 

誰がそんなあほなことを言うんだ。

(おっと。お言葉がすぎた。)

 

実際、関東住みのエイターさんやアラシック、NEWS担が国立の屋根のあるところに集まっていたのを見た。

[充電器貸します]

[タオル、アイロンあります]

とか色々。

 

すごいなぁと思ったけど、

どうにかできなかった人は、来てはいけないんじゃないか?とも思ってしまった。

今この歳になってみれば、ネットカフェやカプセルホテル、ビジネスホテルなど東京にはいくらでも環境はある。お金と考える力があれば、無駄に知らない人に迷惑をかけることはないだろう。

何度もいうが、これは今思えば、の話。

 

当時高校生の私も自分だけではどうにもできず、実際家族に助けてもらえた。

 

責任を持てない人は遠征してはいけないと思う。コレを感じた。

今でもそれは思う。

自分の欲のままに他人に迷惑をかけるのは、NEWSの価値を下げることもその時に学んだ。

 

お金が無いなら帰らなければならないし、宿がないなら自分で見つけ出すしかない。

 

とんだ恥さらしだったなと今でも感じる。

(行きたい気持ちも痛いほどわかるけど)

 

 

3日目

 

順延公演。

愛に溢れ過ぎていた。

メンバーもファンも全力で。

スタンドだからこそ見えた空席が辛かった。

 

雲がハートの形に見えるとTwitterがバズっていたけど、それくらいの奇跡だと大人になってわかる。

会場代、設備費、スタッフの人件費、そのほかにも沢山の人やお金が動いていたと思うと本当にあの順延には感謝しかない。

 

私はチケットの裏の、赤ペンのチェックを一生忘れたくない。(紙チケ復活を)

 

ちなみに、、

友達はなぜかチケットを忘れ、チェックがない。笑

私名義のチケで私の身分証確認とかでなんとか入場はできたけど、当時は死ぬほど焦った。



開演


NEWSにも見えるほどの空席。

NEWS自身も辛かったと思う。


MCでは、「こんなに沢山の人が来てくれて嬉しいです!」「みんな仕事とか学校とかあったよね?」「本当にありがとう!」

 

 と、その場にいる人たちの気持ちに寄り添ってくれた。



しかし、前日、少しお話が出来た加藤担の同い年の女の子二人の席には違う女の子が座っていた。

何があったのか、事情は知らないがとにかく違う子が座っていた。


そんな席は他にも沢山あったのだろう。

実際にTwitterでも空席を作りたくありません!というツイートを見た。


最後までしっかりと公演をやり遂げることが出来た。

その日はそれだけで拍手だった。

しかし、NEWSは沢山の愛と思いを伝えてくれた。


その日の夜、WSでは雨でコンサートが順延になったことや体調不良者が出たこと、NEWSのメンバーが謝ったことが流れたが、過剰に盛られた内容や、言葉の足りない解説に腹が立ったことも覚えている。




DVDにも残らず、

いまとなっては忘れ去られてしまいそうな

HAPPY魂秩父宮公演。

忘れてしまわないように、思い出せる限りで文章に起こしてみた。

誰も悪くないのに、なかったことにしようとするのは切ない。

あれだってNEWSの進んできた大切な道だ。




5年後の15thライブでもう一度野外ライブが出来るだなんてこの当時の私は、夢にも思わなかった。








とりあえずここまで。

秩父宮公演が内容濃すぎてほぼその内容になっちゃった〜( -∀-)


ここまで読んで下さり、ありがとうございました。


また気が向いたら続き書きます。